高市早苗3人の子どもが養子はデマ?離婚理由は?再婚相手は元旦那?

政治

日本で初めてとなる「女性総理大臣」に最も近い存在と言われて久しい、自由民主党所属の衆議院議員・高市早苗さん。

プライベートでは、同じ男性と「結婚→離婚→4年後に再婚」という珍しいパターンで話題になりました。

その高市早苗さんに関してネット上では「3人の子どもは養子なのでは?」というコメントが散見されています。

「なぜ養子なのか」「離婚理由」や「同じ人と再婚?」など気になりますね。

この記事では、3人の子どもは養子なのか、実の子どもなのか、元旦那との関係も解説していきます。

この記事でわかること

•高市早苗の3人の子どもが養子はデマ?
•高市早苗の3人の子どもとは?
•山本拓との馴れ初めや離婚理由は?
•高市早苗の再婚相手は元旦那?

高市早苗3人の子どもが養子はデマ?

ネット上では「高市早苗に3人の子どもがいてすべて養子」との噂がありますが、事実はなくデマです

奈良県出身で神戸大学経営学部を卒業後、松下政経塾に入塾、その後1993年衆議院議員総選挙で初当選した高市早苗さん。

高市早苗さんは、2004年9月43歳の時、同じ清和会(森派)所属の山本拓さんと結婚しました。

この時「高市早苗」から「山本早苗」になったと自身のブログで語っています。

高市早苗さんの3人の子どもがすべて養子なのか?について詳しく解説していきます。

養子の噂はデマで広がった背景は?

高市早苗さんの3人の子どもは、山本拓さんの連れ子ですので「養子なのでは?」の噂はデマになり、2つの背景が噂が広がった要因だと思われます。

•高市早苗さんが「山本姓」になったことを知らない。
•前述した「血はつながらないが素直でかわいい息子や娘」と書いたことが「養子縁組したのでは?」など誤解を招いた。

実際、もちろん血縁関係も、養子縁組も行われておらず、元夫の連れ子という立場です。

高市早苗さんサイドから見ると、「夫には前妻と3人の子どもがいる」という状況ですが、事実に反して「3人の養子がいる」という噂になったと思われます。

ネット上では「高市早苗さんに3人の子どもがいてすべて養子」との噂がありましたが、そのような事実はありません。

高市早苗には3人の子どもとは?

高市早苗さんには3人の子どもが「いました」が、養子や実の子どもではなく山本拓さんの連れ子になります。

ですので正確には「高市早苗さんには、3人の継子(けいし・ままこ)がいた」ということになります。

高市早苗さんと夫・山本拓さんの間に実の子どもはいなく、バツイチの山本拓さんには3人の子どもがいましたので、連れ子も一緒に家族になったということです。

高市早苗さんも結婚された当初「山本姓」になっていましたので、「嫁入り」したことになりますね。

高市早苗さんは公式ブログで「血はつながらないが素直でかわいい息子や娘」と書いていますので、幸せな「山本一家」の様子が伝わってきます。

3人の子どものうち長女・次女について

3人の子どものうち「長女・次女」は一般の方となっており、現在は40歳くらいで既婚者のようです。

•長女:田中涼子さん?と言われていますが、一般の方ですので詳しい情報は公開されていません。福井県在住。

•次女:高山杏子さん?と言われていますが、一般の方ですので詳細は不明。福井エリア在住。

長女の田中涼子さん?には、子どもが1人、次女の高山杏子さん?には子どもが2人いる、との一部情報もありますが、確定情報ではありません。

3人の子どものうち長男の山本健

3人の子どものうち長男の山本健さんは福井県議会議員、父・拓さんの地盤を引き次いで政治家として活躍中。

氏名山本健
生年月日1984年2月18日(41歳)2025年6月現在
出身地福井県鯖江市
学歴金沢学院大学
趣味映画鑑賞、釣り

2007年、山本健さんに男の子が誕生した際には、高市早苗さんが涙を流して喜んだ、というエピソードが伝わっています。

高市早苗さんが結婚して3年後の出来事ですので、孫の誕生を心から喜んだ様子がうかがえますね。

山本拓との馴れ初めは

高市早苗さんと山本拓さんの馴れ初めは、いくつかの偶然とご縁が重なったことがきっかけです。

1993年衆議院議員選挙で初当選した高市早苗さんですが、2003年の選挙では落選してしまいました。

その時、落胆する高市早苗さんに励ましの電話をかけ、また高市早苗さんの秘書を務めていた弟さんを山本拓さんの事務所で働くように計らってくれたとのこと。

これがきっかけで山本拓さんやその子どもたちとの、家族ぐるみのお付き合いがはじまったようです。

そして2004年、自民党の意見交換会の時「高市早苗さんの結婚相手をみつけてあげなければ」との話が出てその数日後、山本拓さんからの電話で「立候補します」とプロポーズされたと語っています。

その一週間後にOKの返事をして、2004年の結婚になりました。

元旦那との離婚理由は?

幸せな結婚生活も2017年に「協議離婚」という形で終わりを迎え、2つの離婚理由が考えられます

2004年に結婚、「山本姓」になって「山本家」の一員となり、山本拓さんの子どもの孫の誕生にも涙を流して喜ぶなど、幸せな結婚生活を送っていた高市早苗さん。

離婚理由2つを考察します。

離婚理由①政治的スタンスの違い

離婚理由の1つめは、高市早苗さんと山本拓さんの政治的スタンスの違いです。

結婚当初は同じ「森派」だった2人ですが、その後山本拓さんは「石破派」に、高市早苗さんは「安倍派」にわかれました。

夫婦でありながら、派閥が違うため家庭の中でも「敵同士」になり、相手陣営に情報が漏れないように注意するなど、一般家庭では体験することがない、精神的な負担があったかもしれませんね。

•平成16年に結婚してから、私生活面では円満に楽しく過ごしてきた
•互いの政治的スタンスの違いが大きい
•それぞれに信念を貫いて政策活動に没頭したいという結論に至った
•今後も同僚の国会議員として切磋琢磨しながら、しっかりと働いていく

離婚後は戸籍も「山本早苗」から「高市早苗」に戻したそうです。

離婚理由②夫婦間のキャリア格差?

「安倍派」の高市早苗さんは大臣職に、山本拓さんは副大臣止まりで夫婦間のキャリア格差が原因といわれています。

安倍晋三首相に近い高市さんは、安倍政権の閣僚や自民党政調会長などを歴任し、第1次安倍内閣では、高市早苗さんは大臣に、山本拓さんは副大臣になりました。

高市早苗さんが、総務大臣に就任した時は、山本拓さんがチーズフォンデュを作ってくれて、ケーキも用意してお祝いしてくれたそうです。

しかし、いつの日からか山本拓さん側にストレスやすれ違いが生じて限界に達し、山本拓さん側から離婚を切り出したといわれています。

高市早苗さんも「自分が至らなかった」とブログで語っています。

高市早苗の再婚相手は元旦那?

高市早苗さんは2021年に再婚していますが、その再婚相手は元旦那の山本拓さんです。

2017年に協議離婚した2人ですが、離婚後もプライベートでは良好な関係を維持していたようです。

2021年自民党総裁選に高市早苗さんが立候補した際は、山本拓さんは早くから元妻の支持を公言していました。

また、山本拓さんが2021年の衆院選で落選し、国会議員ではなくなったことで、以前のような「政治的スタンスの違い」で対立することがなくなったともいわれています。

もともと「政界のおしどり夫婦」と呼ばれるほど、仲睦ましい2人で、多忙な高市早苗さんを調理師免許を持つ山本拓さんが、自慢の手料理で支えているといわれています。

再婚後は山本拓さんが「高市拓」と名乗り、「高市」の姓を残したそうです。

まとめ

日本初の「女性総理大臣」に一番近い存在、といわれた高市早苗さん。

その高市早苗さんは2004年に、同じ清和会の山本拓さんと結婚しました。

山本拓さんには3人の子どもがいましたが、この子どもと高市早苗さんの関係が「養子なのでは」と噂されましたが、「養子縁組」の事実はなく、噂はデマとなります。

3人の子どもとの関係は大変良好のようで、また孫が4人との噂もあり賑やかな家族の様子が伺えます。

2017年に「政治的スタンスの違い」が離婚理由で別れた2人ですが、2021年に高市早苗さんは再婚されていますが、その再婚相手は元旦那の山本拓さんでした。

43歳での結婚→離婚→そして再婚といろいろあった2人でしたが、現在は同じ目標に向かって夫婦二人で歩み始めているのではないでしょうか。

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