いまから45年程前、「三原じゅん子(当時の表記は「順子」)は将来国会議員になって大臣になるよ」と言ったら、信じる人はいなかったでしょう。
現在50歳~60歳代の中高年世代にとって、三原じゅん子さんといえば…。
制服のスカートが異様に長くて、ちょっとケバくて目つきが鋭い女子高生(を演じる若手女優)というイメージでしょうか。
そんな三原じゅん子さんは現在、日本の『内閣府特命担当大臣』。
女優や歌手としての華やかなキャリアから、なぜ政治家に転身したのかが気になります。
•三原じゅん子はなぜ政治家に転身?3つの理由!
•三原じゅん子の学歴はなぜ中卒で大臣に?
•三原じゅん子大臣の秘書は3人目の夫!
•三原じゅん子は何者?
三原じゅん子はなぜ政治家に転身?3つの理由!
三原じゅん子さんがなぜ政治家になろうと思ったのか、それは社会に貢献したいという思いからです。
若い頃の三原じゅん子さんが演じていた役柄のイメージが強すぎて、現在、政治家である事実とのギャップが大きく感じられてしまいます。
しかし、自身の身に起きた出来事をきっかけに、三原じゅん子さんは生き方を見直します。
7歳で劇団に入って以来、ずっと芸能界で活躍していた三原じゅん子さんが、政治家に転身した理由3つを考察です。
理由①自身の闘病生活
なぜ政治家に転身したのか、理由1つめは、自身が子宮頸がん患者となり闘病生活を送ったことです。
三原じゅん子さんは、2008年44歳の時に人間ドックを受診した際、子宮頸がんがみつかりました。
卵巣とリンパ節は残しましたが、手術により子宮を摘出した三原じゅん子さん。
その闘病生活中に幅広い世代のがん患者と出会い、たくさんお話をされたそうです。
「がん友」と呼ぶ仲間たちとコミュニケーションを深めるうちに、三原じゅん子さんは「日本のがん対策は遅れている」と実感。
「政治の力でがんと闘う人たちを支援しよう」と三原じゅん子さんは決断したといいます。
理由②介護施設運営によって見えた問題
なぜ政治家に転身したのか、その理由2つめは、介護施設運営によって見えた介護現場の問題です。
2010年に三原じゅん子さんは東京の三鷹で介護事業所を立ち上げました。
きっかけは、三原じゅん子さんの父親が倒れ、母親がずっと介護をする様子を見てきたことや、自身が癌になり介護される側になった経験から「命が助かったら介護施設を作ろう」と思ったそうです。
しかし、実際に介護施設を運営していくと、介護職員の人手不足や低賃金、労働環境など介護現場の問題を実感したといいます。
介護現場を改善するには、介護福祉政策を改善する必要があり、政治の力が必要だと考えたそうです。
理由③女性の健康を守りたい使命感
なぜ政治家に転身したのか、その理由3つめは、女性の健康と命を守りたいという使命感です。
自身が「がん患者」になったことで見えてきた、患者目線からの医療政策、特に女性の医療政策(がん検診の受診率の向上など)に対して積極的に取り組むため、と語っています。
また三原じゅん子さんには、女性が輝いて活躍する社会にしたい、という強い思いがあり、そのためには「女性活躍推進法」だけでは難しいのではないか、と判断したようです。
女性の健康をささえ、犯罪から守る法律の立案が必要、さらに保育士の人件費引き上げや、保育園の待機児童ゼロの実現には、政治の力が不可欠という結論に達して、自身の新たな挑戦を決意しました。
保育士の処遇改善 人件費、過去最大の10.7%引き上げへ 三原じゅん子担当相が表明https://t.co/zaLLVxNrHl
— 産経ニュース (@Sankei_news) November 22, 2024
「すべての子供や若者の幸せと未来を守るとの決意のもと、子供、若者の支援・子育て支援などの取り組みを思い切って強化、加速していく」
政治家への転身は「自分の意志で決めた」と語っています。
三原じゅん子の学歴はなぜ中卒?
三原じゅん子さんの学歴を正確に表現すると、「中卒」となります。
プロフィールの最終学歴は「板橋区立志村第一中学校」となっていますのでやはり「中卒」ですね。
1980年、三原じゅん子さんは、忙しい芸能活動と学業を両立させるために「めいなか」と呼ばれる明治大学付属中野高校の定時制に入学しました。

当時、近藤真彦さんと一緒に「めいなか」を受験して思わぬ騒動になった、
と2024年の対談で三原じゅん子さんが語っています。
しかし、仕事との両立に苦しみ、結局1984年に明治大学付属中野高校を中退しました。
その後、正式に高校・大学には通っていませんので、学歴的には「中卒」という表記になります。
三原じゅん子はなぜ大臣?
三原じゅん子さんが大臣に任命されたのは、国会議員として3期連続当選しキャリアを重ねてきたことが評価されたからです。
2010年に参議院議員として初当選してから15年、政治家として勤められた三原じゅん子さん。
第一次石破内閣において内閣府特命担当大臣(こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画、共生・共助)、女性活躍担当大臣、共生社会担当大臣を務めています。
しかしネット上では、「三原じゅん子 大臣 なぜ」や「大臣 大丈夫か」「世も末」のコメントが多く散見され、国民からの評価は厳しいようです。
何?…三原じゅん子が
— キャラメルの粒やき (@9HPshf4gpn73388) September 29, 2024
大臣だと?
世も末である・・・
2024年の1年間に生まれた日本人の子供が、初めて70万人を下回ってしまったという現実があります。
「自分の意志で決めた」政治家の道。初心に返り、志した純粋な気持ちを思い出してほしいですね。
三原じゅん子大臣の秘書は3人目の夫!
三原じゅん子さんはこれまで3度結婚しており、現在の夫は国会議員・三原じゅん子さんの私設秘書を務めている3人目のご主人です。
•1回目の結婚:1990年。当時国際B級ライセンスを取得していた三原じゅん子さんは、同じレーシングドライバーだった松永雅博さんと結婚しましたが1999年5月に離婚が成立。
•2度目の結婚:同年11月。お笑い芸人のコアラさんと再婚。芸能人同士の結婚ということで話題になりましたが、2007年に離婚。
•3度目の結婚:2016年10月。元秘書だった中根雄也さんと再婚して現在に至っています。
三原じゅん子さんより24歳下の中根雄也さんは、神奈川県藤沢市出身の36歳。
駒沢大学卒業後に「ユニクロ」のファースト・リテイリングに入社。その後、自由民主党を経て、政治家の三原じゅん子事務所に所属しています。
三原じゅん子に子供はいるの?
三原じゅん子さんは3度結婚されましたが、子どもはいません。
三原じゅん子さんは30代の時に卵巣嚢腫で片方の卵巣を摘出する、大きな手術を経験されています。
さらに2度の流産も経験。
当時は摂食障害やパニック障害になり精神的にもかなりキツかったようです。
周りの人たちの支えもあり、なんとか乗り越えてきたようですが、この経験から「不妊治療の保険適用」の実現を訴え続け、2022年4月から、保険適用になりました。
三原じゅん子は何者?
三原じゅん子さんは、現在は日本の政治家であり、元女優・歌手、レーシングドライバーです。
本名 | 中根順子 |
生年月日 | 1964年9月13日生まれ |
出身 | 東京都板橋区 |
中学時代は美少女路線でテレビドラマに出演していましたが、1979年TBS『3年B組金八先生』にツッパリ少女を演じて人気となりました。
1980年に『セクシーナイト』で歌手デビューを果たすと、1982年には『だって・フォーリンラブ・突然』はヒットして、同年大みそかのNHK紅白歌合戦に出場しました。
三原じゅん子さんが活躍されていた時を知らない40代以下の方にとっては、「キレイな政治家さん」くらいの印象でしょうか。
まとめ
三原じゅん子さんは10代で一気に売れっ子となり、歌手や女優として芸能界で存在感を放ってきましたが、2010年に参議院議員選に挑戦し初当選しました。
芸能界からなぜ政治家への転身したのか、その理由は、自身が癌患者になった闘病体験や社会の中での女性の立場を守りたい、という強い思いからだったようです。
プライベートでは3度結婚されている三原じゅん子さん。
現在の夫は24歳年下の36歳で、三原じゅん子さんの私設秘書をされています。
芸能界で培った経験を活かして、地域社会や女性が輝ける社会実現のため、秘書でもある夫に支えられながら、政治家として活躍してほしいですね。
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