放送作家、作詞家、ラジオパーソナリティーとして長く活躍した才人・永六輔さん。
2016年に故人となりましたが、朝ドラ『あんぱん』で永六輔さんをモデルした「六原永輔」が登場して、再びその類まれな才能と独特のキャラクターが話題となっています。
長年にわたり芸能界でマルチな活動を続けた永六輔さんですが、昭和史に残るその幅広い仕事は、令和のいまも色あせることがありません。
『あんぱん』で再注目されている永六輔さんの国籍や実家など詳しく解説していきます。
•永六輔の国籍は?自称国籍も!
•永六輔の実家は?
•永六輔は晩年はパーキンソン病と闘う
•永六輔の孫は東大在学中に出版!
永六輔の国籍は?自称国籍も!
永六輔さんの国籍は「日本」ですが、“自称国籍”を生前語っていました。
「江戸時代の初期に日本にやってきた中国の僧を先祖にもつ“在日本外国人の17代目”」と自称していたようです。
「徳川幕府に呼ばれ、中国の上海から来日、幕府にお仕えした学僧」とも発言していたため「中国国籍では?」「中国帰化人?」などの噂があったようです。
1933年4月10日に東京・元浅草で誕生した永六輔さんは、父親がお寺の住職さんでしたので、“自称国籍”ではあるものの、ご先祖さまは渡来した中国人という話にも説得力はあります。
とはいえ、徳川時代初期にまでさかのぼる話であり、それ以前の奈良・平安・鎌倉時代には大陸から多くの人々が日本に渡っており、「渡来人だから……」と言い始めると収拾がつかなくなりそうですね。
永六輔の実家は?
永六輔さんの実家は、東京・台東区の元浅草にある浄土真宗の寿徳山 最尊寺(さいそんじ)です。
400年を超える歴史があるお寺で、第17世の住職が永六輔さんのお父さんである永忠順さん。
お父さんは早稲田大学文学部東洋哲学科を卒業され、『歎異抄のこころ』『おじいさんの日和下駄』『バカになるしあわせ 息子・永六輔へ』などの著書もあります。
永六輔さんの実家である最尊寺は、1990年代から他に先駆けて「永代墓」を設けており、当時はかなり珍しかったため反響を呼んだようです。
永家の「永」を意識したのでしょうか?
永六輔は晩年はパーキンソン病を闘う
永六輔さんは2016年に83歳でお亡くなりになりましたが、晩年はパーキンソン病と闘う日々でした。
スピーディーなおしゃべりがトレードマークだった永六輔さんでしたが、2009年に呂律が回らなくなったと報道があり、2010年にパーキンソン病と診断されました。
一時はラジオ番組に出演するなど病状は良くなりましたが、パーキンソン病の影響で歩行が困難になり、転倒して骨折を繰り返すなど、病との闘いが続きました。
2016年に最後のラジオ番組出演を終えて、その10日後に肺炎のために亡くなりました。
永六輔の孫は東大在学中に出版!
永六輔さんのお孫さんの一人・永拓実さんは、東京大学文学部在学中に出版されています。
永拓実さんは東京大学在学中の20歳の時『大遺言祖父・永六輔の今を生きる36の言葉』を発表。
拓実さんは、永六輔さんのことを本名の『たかお(孝雄)くん』と呼んでいたそうです。
拓実さんにとって『たかおくん』は他愛のない話をする、豆知識ばかりを披露するおじいちゃん。
世間からは、「戦後の日本文化をリード」「昭和を代表する偉人」などと評される祖父でしたが、孫としては大きなギャップを感じていたようです。
一周忌を前に拓実さんは「祖父のことをもっと知らなくてはいけない」と永六輔さんの著書約100冊、遺された手帳やノートを読み、さらに親交のあった約30人ほどの方々とお逢いしたそうです。
そして出来上がったのが『大遺言祖父・永六輔の今を生きる36の言葉』。

おじいちゃんのDNAをしっかり受け継いでいますね。永六輔さんもきっと天国でお孫さんの著作を読んでいるのではないでしょうか(辛口コメントもありそうな…)
永六輔が残した多くの作品!
永六輔さんは戦後の日本に、数多くの作品を残されています。
早稲田大学第二文学部(夜間)在学中に放送作家、司会者としてデビューした永六輔さんが残した、作詞家としての作品(一部)をご紹介。
上を向いて歩こう | 歌・坂本九さん 作曲家の中村八大さんとコンビを組んで手掛ける |
見上げてごらん夜の星を | 歌・坂本九さん アメリカのビルボードで3週連続チャート1位 |
ヨイトマケの唄 | 歌・美輪明宏さん |
こんにちは赤ちゃん | 歌・梓みちよさん |
いい湯だな | 歌・ドリフターズ |
昭和の高度経済成長期を代表する作品が多数ありますね。
作詞業を離れた後は、軽妙な語り口でしゃべりまくる独特のトークでラジオを中心に活躍。
また、エッセイ本など約200冊を出版しており、老いや病などについて多くのお年寄りの名言を編集した1994年発表の『大往生』は、200万部を超えるベストセラーになりました。
永六輔は【あんぱん】で再注目!
2025年、NHKの朝ドラ『あんぱん』で永六輔さんをモデルした「六原永輔」が登場し、永六輔さんが再注目されています。
『あんぱん』に登場する「六原永輔」を見た視聴者さんは「本当にこんな感じの人なの?」と思うかもしれませんね。
クセや口調、独特な存在感が「役だから誇張しているのでは?」と思われるかもしれませんが、昭和世代にとっては「かなりそっくり」という印象です。
20代の頃の永六輔さんが描かれていることに、新鮮な驚きと注目が集まっています。
まとめ
放送作家、作詞家、ラジオパーソナリティーとして長く活躍した才人・永六輔さん。
2016年に故人となりましたが、朝ドラ『あんぱん』で永六輔さんをモデルした「六原永輔」が登場して、再びその類まれな才能と独特のキャラクターが話題となっています。
永六輔さんの国籍は「日本」ですが、「先祖は江戸時代初期に日本にやってきた中国の僧で、自分は在日外国人の17代目」と“自称国籍”を生前語っていました。
『上を向いて歩こう』『見上げてごらん夜の星を』など昭和史に残る名曲の作詞を手掛けています。
お孫さんの永拓実さんによると、普段は他愛のない話をする、豆知識ばかりを披露するおじいちゃんで、「戦後の日本文化をリード」という世間一般のイメージとはかけ離れていたようです。
現在『あんぱん』で、いきいきとした20代の永六輔さんをモデルにした登場人物が話題ですので、いま改めて、永六輔さんが残したお仕事にふれ、その魅力を感じてみてはいかがでしょう。
コメント